株式会社大森写真製版所■会社経営も業界貢献の組合活動も次世代へ託す
写真製版業の発展と共に歩み続けてきた株式会社大森写真製版所。社長就任後、東京写真製版若葉会でも尽力し業界に貢献されてきた大森久義社長に、同社の沿革と自分史、事業承継について話を伺った。
株式会社大森写真製版所
〒101–0047
東京都千代田区内神田1-12-6
大森内神田ビル
代表取締役社長
大森 久義氏(GC東京)
創業107年を迎えた有数の老舗の製版会社
同社は、DTP から印刷、加工・配送までワンストップで事業を展開しているが、プロセスという社名が示すように中核事業は、あくまでも製版である。特 株式会社大森写真製版所の歴史は古く、大森社長のご祖父様が 1914年(大正3年)に創立したのが始まりで、107年も前に遡る。以後、関東大震災で建物を消失したり、太平洋戦争では建てたビルを処分したりと幾多の憂き目を見るが、戦後事業を再開し、1950年には現社名で会社を設立し、今日に至っている。
設立当初の写真製版技術は、まだ湿板法と言ってガラス板上にヨードコロジオンを塗布し、感光板が濡れている時に感光する技法が主流であった。その後、写真乳剤が予め塗布されている写真フィルム法へ移行し、印刷技術の発展と高度経済成長によって、写真製版業界は隆盛を迎えることになる。
大森社長が同社に入社したのは1978年で、まさに近代化、設備の高度化が図られつつある時代だった。法政大学を卒業した大森社長は、いったん、大阪の印刷会社に就職して2年間勤務し、印刷技術全般を習得。退職した後、東京に戻ってご尊父様の紹介で会計事務所に勤めた。「当時は製版の仕事よりも数字を扱う会計に興味がありました。専務をしていた父親が体を壊していたこともあって、そろそろ会社に入ってくれないかという要請もあって、それで3年間勤めていた会計事務所を退職し、入社することにしました」と、大森社長は述懐する。
入社した78年当時の同社は、モノクロ製版に特化した事業を展開していた。84 年には現住所に6階建てのビルを建てて移転し、好景気の波に乗って順調に会社は成長していった。しかし、社長に就いていたご尊父様が死去されたのを機に、86年当時36歳であった大森社長が後継者となって社長に就任したのである。「何も分からないまま社長になった覚えがあります」。
Macをいち早く購入し自ら扱う新し物好きな面も
ちょうど、東京写真製版若葉会の会長になって製版業界の発展を担う仕事に就いていた時期でもあり、会社経営と業界の組合運営で多忙を極めていた。
「当時の若葉会は同世代の仲間がたくさん所属し非常に活況を呈していました。さまざまな行事を通じて交流したり、新しい機械設備を学んだりと、有意義な経験をさせてもらい大変感謝しています」と振り返る。
事業が拡大するにつれ刷版部門を確立した同社は、隣地を購入しビルを増改築、イメージセッターを導入してデジタル化を目指した。「当時のイメージセッターは出力するのにあまりにも時間が掛かり過ぎて、とてもページ物の出力で使える状況ではありませんでした。しかし、ちょうどその頃バーコードが普及し始めて、さまざまな商品に印刷されるようになってきたので、イメージセッターを使ってバーコード印刷を始めようとしたところ、肝心のバーコードを作るソフトが高価で180万円もしたのを覚えています。それで岩波書店さんなど出版社に営業をかけて書籍のバーコードを一手に引き受けることができ、そのバーコードの収益でイメージセッターの導入費用の元が取れた感があります」と、イメージセッターとバーコード印刷の逸話を話してくれた。
現在は苦難を乗り越えた末、規模を縮小せざるを得なくなり、イメージセッターなどの製版機は社内に設置していないという。営業品目はDTPによる冊子類のデータ制作、書籍・雑誌のバーコード制作、レーザー彫刻機での木札作成などの事業を展開しているとのことだ。
また同社は、業界でかなり早い時期にDTPを導入している。大森社長自身がMacに惹かれて80年代中頃に「Macintosh SE」を購入し、自らデザイン制作に使用したとのことで、新し物好きな面も持ち合わせている。「実はMac以前にはカセットテープにデータを収納するシャープのパソコンを購入し、家に音楽レコードがたくさんありましたから、それを整理するのに使っていました」と、パソコンに関しては人一倍関心が高かったことを窺わせる。
今日、印刷業界では事業承継が最大のテーマと言っても過言ではなく、後継ぎがいないことが理由で廃業せざるを得ない印刷会社も少なくない。そんな状況下、同社には後継ぎにご子息の大森雄介氏がいることもあって、ネックになる事業承継の問題はクリアできている。現在、雄介氏は東京写真製版若葉会の会長と、印刷産業青年連絡協議会(印青連)の副会長に就いて業界の垣根を越えた活動に従事している一方で、会社では新しい事業を模索中だ。
「これからの印刷産業は、インターネットを駆使したデジタル化に移行していかなければ成り立たないと思っています。当社も今は事業のほとんどを息子に任せていて、やりたいことがあれば好きなようにしなさいと言っています」と、経営は息子さんに託しているとのことだ。
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